バレエダンサー鎌田真梨が
イギリスで叶えた夢

2019/2/7

鬼才マシュー・ボーンの舞台「眠れる森の美女」の東京公演で主演のオーロラ姫に抜擢。
最近では日生劇場で現在上演中のミュージカル「ラブ・ネバー・ダイ」にて振付補通訳など幅広く活躍中のバレエダンサー・鎌田真梨さんの素顔に迫るロングインタビューです。

インタビュー 2019/1/21
UNCLACK編集部

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小さい頃から好きだったバレエ、
恩師との出会い

6歳で初めて着たレオタード

―バレエを始めたきっかけを教えてください。

バレエを始めたのは6歳でした。友人のバレエ発表会でのアクロバット的な振り付けに衝撃を受け、これをどうしてもやりたい!と母に懇願したのがきっかけでした。週3〜4回のレッスンが楽しくてしょうがなかったです。
一番楽しかった時期は小学4年生だったと思います。当時から回転が好きで、学校の廊下をずっとクルクル回ったりする子供でした。中学3年になると進路を考える年齢ですが、私はバレエを続けたいと思っていたので、14歳の時にカナダロイヤルウィニペグバレエスクールのサマーコースに参加しました。

—中学生ですでにバレリーナへの道を意識していたということですか?

実はこの時に経験したことがバレエを続ける確固たるきっかけになったと思います。
バレエスクールのレベルがあまりにも高く、自分の無力さに気がついたのです。これを機に、日本に戻った後もバレエをもっとうまくなりたいという悔しさからくる意識が強くなったと思います。その後、東京の今村バレエスタジオに、地元の仙台から週一で通うようになりました。

今村バレエスタジオでは、主宰の今村昌子先生はじめ穴吹泉先生など素晴らしい恩師に出会うことができました。東京での刺激的なレッスンに加え熱い指導のおかげで多大な影響を受けました。そして同スタジオ恩師の一人である故・白石詩子先生との出逢いが留学への大きなきっかけとなりました。詩子先生が卒業されたイギリスのランベール・スクール・オブ・バレエ・アンド・コンテンポラリーダンスというバレエ学校をご紹介戴き、幸運にもオーディションに受かり、16歳から入学することに決めました。わたしに携わってくれた方々でもし一人でも欠けていたら、もしかしたら今私はバレエを続けることはなかったかもしれません。


—イギリスへ16歳の若さで旅立つのは勇気がいると思います。バレエ学校の生活はどうでしたか?

当時、安全で親日な国、何より豊かな伝統と文化、繊細で紳士的な国民性であるという日本と共通した部分も併せ持つイギリスは魅力的でした。ロイヤル・バレエ団を始めとする伝統的なバレエの現地に触れたい気持ちと、新しい生活への希望で胸が膨らみました。
私が入学したランベール・スクールではバレエを中心に3年間就学します。場合によっては2年生から編入も可能です。わたしが入学した時に日本人は4名いましたが、やはり言葉や文化的な違いからすれ違いは生まれます。若さゆえの勢いもあったと思いますが、言葉の壁は最初の3ヶ月で耳が慣れ、1年も経つと普通に会話できるまでになりました。それは今思うと、「日本」という海外からきているということで、違いがあるからこそわからないことをはっきり聞くという姿勢を貫いたのがよかったかもしれません。

バレエ学校当時使っていたスケジュール帳

—ランベールスクールはどのような学校ですか?

イギリスのバレエ学校の中でも、ランベールはバレエとコンテンポラリー*を半々学べるという特色を持つスクールでした。マシュー・ボーンのカンパニーとの出会い、それに今私が取り組むコンテンポラリーの新しいプログラムにつながる基礎をこの学校で築いていくことができました。
月曜から土曜まで、古典バレエ、コンテンポラリー、解剖学、振付、9時から始まり16時ごろまで学びます。生徒による振付作品の発表会がある時期は夜遅くまでリハーサルがあります。3年生になると、卒業公演の練習に忙しかったり、世界各地のオーディションを受けに行くために授業を受ける生徒の数もまばらになります。

*コンテンポラリーバレエ:現代的な要素や感覚、時代の流行を取り入れたバレエの様式


—バレエ学校のレッスン中の服装は?

伝統を重んじるロイヤル・バレエスクールは、決められたレオタードが支給され、体の使い方やバランスの違いを徹底的にチェックされます。個性を出すような格好はまずしないでしょう。
私がいたランベールは、比較的自由な校風で、個性を重んじます。初めは、先輩のダンサーがものすごく背中が空いていたり、鎖骨を見せるため大きく開いたデコルテ、カラフルなレオタードを着ているのを見て、日本との大きな違いに衝撃を受けました。セルフブランディングの教育に近い考え方からのようです。

―なぜ違いが生まれるのでしょう?

足元は冷えないようにレッグウォーマー、スタジオ間の移動には専用のウォームブーツを履きますが、コンテンポラリーの授業で足の露出度が高いことには驚きました。日本はタイツやレギンスで必ず肌を覆いますが、ホットパンツや通常のパンツであっても、かなりまくった状態で受けます。これは重心移動する際に、肌に触れる空気の重みを直に感じるためだったり、足をのばす意識をより直に感じさせるためだとわかりました。これに関しては、マシューの舞台でも例えば、髪をまとめずおろしたりします。舞台をより自然に近づけるための意識的な習慣であることがわかります。パートナーレッスンの場合、ラフすぎるTシャツやタンクトップは絡まった場合危険なので、レッスン着選びや着方はお互いに責任を伴います。

—レッスン以外の時はみんなどんな服装ですか?

普段はとってもラフな格好の生徒が多かったです。Tシャツとジーンズなど。マシュー・ボーンの団員で古典的なロンドンの紳士のようなツイードの上下スーツにハット、杖をついたり、奇抜なカラーで上下を組み合わせるなど、変わったお洒落な格好をしてくる人もいました。また、私たちの演劇の世界ではオープニングパーティ、メディア向けの披露パーティがあるので、その際は普段と違いタキシードやイブニングドレスなど、ダンサーが皆おめかしします。


東急シアターオーブ。「眠れる森の美女」も公演された。

—スクール卒業後すぐバレエ団に?

2007年にスクールを卒業する頃、バレエのカンパニーに入るため多くのオーディションを受けましたが、なかなか採用されることはありませんでした。午前中にダンスワークス(自由に受けられるオープンクラス)に通い、その間を縫って様々なカンパニーのオーディションを受けながら、夜はウエイトレスの仕事、そんな生活を2年程続けていました。

—かなり厳しい世界ですね。

とにかくバレエの仕事に就きたい一心で、ずっと踊り続けていました。そんな時、とあるコンテンポラリーバレエ団のオーディションを受けジュニアカンパニーの団員としてならOKということでノッティンガムまで引越しをしたのですが、とても順調だったのにも関わらず半年後にディレクターが夜逃げをしてしまって・・・またロンドンに戻るというハプニングに見舞われました。
それには呆然となりましたが、ロンドンに戻る前のタイミングでたまたまマシューのカンパニー・ニュー・アドベンチャーズが「シンデレラ」公演のためのオーディションを行うという情報があったので幸運にも書類通過し、一次オーディションを受けていました。

—すごいタイミング。オーディションは緊張しました?

不思議なのですが、こんなにも楽しいと思えるオーディションは初めてでした。受からなくても後悔はしないと思えるぐらい。一次を通過し、その後二次を受け、1ヶ月間連絡を待ってました。
ロンドンにはマシュー・ボーンもよく公演を行う、サドラーズウェルズ劇場という場所があります。私は当時、劇場内でバーテンダーの仕事をしていたのですが、仕事に向かう途中に突然TELをいただきました。「シンデレラではないが、スワンレイク(白鳥の湖)の欠員が出たのでそっちに来てくれないか?」という正式な入団オファーでした。本当に嬉しすぎて、「Thank you! Thank you!」と繰り返し叫んでしまいました!!

ニューアドベンチャーズカンパニーにて

—数年の努力の末、ついに主演に抜擢されたときの気持ちは?

ニュー・アドベンチャーズ・カンパニーでは、先ほどお話ししたシザーハンズのキム役を始め様々な役を務めましたが、2012年に主演のオーロラ姫の代役をいただくことができました。しかしその年に怪我をしてしまい実現には至りませんでした。その後の2016年、東京で行われる「眠れる森の美女」公演のチャンスが訪れ、とうとう夢だった主演オーロラ姫の役をつかむ事ができました。

2016年東京公演「眠れる森の美女」にて主演のオーロラ姫を務める

—怪我を乗り越えて…しかも東京公演とは感慨深いですね。

実は、私はこの時、東京公演を一区切りと考え、日本へ帰国することを考えていました。
マシューとの信頼関係も築き、レッドシューズやシンデレラ役のオファーもいただいた矢先だったのですが、私の中では、自分がここまでやり尽くしたという気持ちもありました。それに、オーロラ姫抜擢の2年前に結婚をしたのですが、カンパニーの仕事があり、日本にいる主人ともずっと離れて暮らしていましたので、これを区切りに東京で一緒にゆっくり過ごしたいという気持ちもありました。

—勇気のいる決断。それによってカンパニーの反応は?

マシューからはその際に、半年間だけ、アーリーアドベンチャーズという小作品のワールドツアーに出てくれないか?という話をいただきました。そして今のところこれが最後のツアーとなりました。これまで舞台を作り上げて来た最も信頼する仲間達と世界中を周る豊かな半年間は、緊張から解放され、とても素晴らしい貴重な思い出となりました。


アーリーアドベンチャーズツアー時のメイクルームにて

—日本人ダンサーとして海外から学んだことは何でしょう?

ダンサーの世界では、日本人の持つ完璧主義が、表現の上であだになったりする場合があると思います。しかし逆に、繊細さ忠実さが、日本人だからこそ演じられる真実味を帯びた独特な表現方法を生み出します。お茶を差し出す作法一つとっても、ただ入れる、受け取る、だけでなく、相手はどうしたら心地よくなれるのか、その細かな意識が手先や動作に現れ、舞台から見ると豊かな表現になるのだということを、海外に行ったからこそ認識することもできました。
一方で、問い詰めすぎなくていい、という解釈を海外を経験すると学ぶことができます。演じる本人が楽しいことが最も大事、ということです。バレエの世界は、より高いレベルの配役を得るために、ダンサー同士で技術を比較される厳しい世界ですし、人間関係を築くのも難しい場合がありますが、いろんな人との出会いが自分を作り、表現を生み出します。舞台は生き物で、人の本質を掘り起こされることもあります。

—真梨さんにとってダンサーの醍醐味は?

日頃の稽古はきついと感じることがもちろんありますが、私はバレエの舞台に立つことがとにかく好きです。思い切り演技をし、最後にお客様からの拍手を浴びた時、それは本当に心地よい雨に打たれている時のような、その達成感、高揚感がとても好きなのです。もしもまた舞台へのオファーがあるのであれば、喜んで、ありがたくお受けしたい気持ちが今もあります。


—今取り組んでいること、これからしたいことをお聞かせください。

海外でも学んだ、ダンスは「楽しい」ということ。バレエには、上達するための厳しいレッスンというイメージはありますが、ストレスを解放させる楽しいレッスンも大人のために展開していきたいです。
バレエとコンテ講師以外では、ヨガのライセンスを取得し、インストラクターをしています。ヨガにはマインドフルネス*の思考が身につきますし、リラクゼーションの効果など、大人が健康になるための要素がたくさん含まれます。ヨガのレッスンの最後にはアロマテラピーのスプレーをいつも使用するのですが、アロマの勉強、ダンサー向けのマッサージ、舞台関係ではバレエ通訳、振付、もっともっと勉強したいことがあります。知識を得ると人生が豊かになり人に役に立つツールになります。

もう一つ、子供達を対象に「コンテンポラリーダンス」を広げたいという思いがあります。日本では浸透していないのですが、世界的に、カニングハムテクニック*がベースの、自由な動きを可能にしたコンテンポラリーの教育が海外では普通に行われつつあります。
日本では時間がかかると思いますし、100年かかるかもしれません。自分がそのきっかけになる事をまず行えたらなと思います。
表現の自由が許される今だからこそ、ダンスは楽しいと思える、未来の子供達がプロを目指すきっかけ作りに役に立ちたいと思います。

*マインドフルネス: 今この瞬間の体験に注意を向ける心のあり方のこと。雑念を持たず、集中力が研ぎ澄まされている状態。瞑想やその他の訓練を通じて発達させることができ、その効果について、多くの実証的研究報告があり、ストレス対処法の1つとして医療・教育・ビジネスの現場で実践されている。

*カニングハムテクニック:アメリカの振付家でダンサーのマース・カニングハムが考案したダンスメソッド。バレエの基本的なベースに加え、既存の常識にとらわれない斬新な身体の使い方を行うことでダンサーが持つより本質的で自然なコンテンポラリーの動きを可能にする。

鎌田 真梨

宮城県出身。6歳より仙台バレエ研究所にてバレエを始める。その後、今村昌子バレエスタジオで学び16歳でイギリスのランベール・スクールに3年間留学。ケント大学よりBA大学卒業課程授与。2010年マシュー・ボーン主宰ニュー・アドベンチャーズに入団。これまで「アーリー・アドベンチャーズ」「眠れる森の美女」「シザーハンズ」「ドリアングレイ」「くるみ割り人形」「白鳥の湖」など多くの作品に出演。2016年9月には東京にて「眠れる森の美女」より主演・オーロラ姫を演じる。圧倒的な存在感を示し、多彩で細やかな表現力とアジア人独特のキレのある踊りが定評なダンサー。2016年10月フィリップ・ドゥクフレ氏演出のミュージカル「わたしは真悟」で振付助手を務める。全米ヨガアライアンスRYT200を保持し、ヨガインストラクターとしても活躍中。

2019/2/7

インタビュー 2019/1/21
UNCLACK編集部

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