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ファッションが性別を超えて進化しているのか – 東京コレクションウィーク前に

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隅々をみてもきれいな道。昼夜問わず明るく、不自由を感じない東京は情報と限りのないモノの豊かさの象徴で、近代的な建物と喧騒が交わり独特の文化が形成されている。モノの飽和と渇望状態は、花の芽吹く前に似ていて東京に新しい文化が加わる予兆なのだろうか。

そのようなアイドリング期に、ファッションを軸にした文化形成のされかたを確認したく、できれば今季の東京コレクションウィークで、その予兆に確信を得てみたいと思っていた。

プレスハウス”DEPECHE MODE”は、都心の中でも恵比寿という落ち着いた場所にあり、いつもほっとした空間の中で、美しいプロダクトを見ることができる。心地よい静けさで、ここに来ると気持ちの偏りがリセットされ、どこまでもニュートラルな空気を感じる。

ファッションウィークの早い時期に、DEPECHE MODEで行われたdivkaの2017AWコレクションで、わたしが目にした1着のコートは、メンズでもかなり大きいサイズで、(今季からメンズコレクションを発表した)女性が着ても美しいのだということ。着てみると胸元のカットワークにしなやかな抜け感が生まれた。鏡に映る、サイジングの概念を忘れた服からは、反対に自分が女性であることが際立ち、露わになっている。

なぜこのような服が生まれるのか。divkaの特徴である、石を思い起こさせるような落ち着いたグレーカラーや生地感のスモーキーで冷たく、無機質なパーツが、独特なパターン・レイヤード・大胆なカットワークにより調和を生み、不思議と優しい表情を見せることが多々あった。また、それぞれの服はデザインの力による豊かなシルエットや印象を与えるだけでなく、機能性にも必ず重点が置かれている。

構想の段階でがっちり型に納めていくのではなく、製作過程にも軸を置き、そこで起こる偶然をすべて大事に生地と形に落とし込み、創り上げていく。得意なところからあえて距離を置いてみたり、常に実験を繰り返し、その柔軟性と創作性を合致させ作品に昇華させるdivkaのようなブランドは、テーマ的でコンセプチャルに生み出すブランドと比較し特異なように思える。

体を一度反対にぶれさせることで高い跳躍がうまれる。独自の表現手段から、自立した媚びない女性服(男性服)が次々と創作された。エキシビジョンの空間を含め、静かなパーツの中に最も豊かな「動」が自然発生的に作品の中に力強く存在する。

服は一枚の布から型取られたり、複数の布の組み合わせにより人の”形”に沿うようデザインがされるが、歴史を振り返ってみると、男性と女性で求められる役割を衣服という「表現媒体」でその”形”を誇張し、存在を意義させてきた節がある。中世の女性のように、意思表示や手段が限られた時代は、その反動で文化の発展へとつながることもあった。しかし今は職業的な意味でも生活レベルの中でも性別から生まれる男女の役割としては大分並列化もしくは逆転化すらされてきている。

その表現媒体としての衣服も並列もしくは逆転化しているとすると、人が身につけることで初めて服の形に意味をもたらし、個々の意思が明確になるのかもしれない。年齢、性別、正しいと思われた価値に、意味をなさなくなる。

新しい概念服が、いま私たちの文化圏、東京から生まれているのだ。

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